Kurt Cobainの自殺、音楽観と時代
前の文章が途切れてしまったので続きを書きます。
カートはショットガンを口に入れて自殺してしまいました。彼は長年胃腸の痛みに悩まされており、痛みの安定剤やヘロインなどを服用して体がボロボロになっていました。ただしこれは彼が自殺した理由ではありません。理由は「売れた」からです。つまり
ロックとは主流に反発するのも、体制を覆すものであり、自分が今トップに登りつめ、皆んなが自分の曲を聴き、自ら主流となったのであれば、自分が消えなきゃいけない。
です。カートは流行りものが大嫌いでした。常にボロ着を着て流行を毛嫌う態度を見せて居ました。でも悲しことに、このカードのファッションスタイルは、本人の意思とは反対に、2017の「流行り」のビンテージファッションとなってしまいました。
彼は自分でも自分の作った音楽を気持ち悪いと思っており、昔自分が嫌ってたアホみたいに明るい曲が流れてたところで自分の曲が流れてるのが辛かったのです。つまり自分が自分の望まない存在となり、生きる価値を失ったのです。もう曲作りも楽しくないし、人生にはほかに何もないので、死んだ方が楽だったのかもしれません。
錆びついて生き残るよりも燃え尽きた方が良い
という事です。
彼の死後は案の定後継者は一人もおらず、90年代末には「ロック」というジャンルが死んでしまいます。(00代に流行ったメロコアパンクはロックもどき) ロックが絶滅した後は、聞くに耐えないお遊戯会楽曲がチャートを蝕み始めました(そこを彗星の如く現れてひっくり返したのがエミネム)
音楽観と時代の成り行き
カートの自殺から僕らが学べる事は沢山有ります。ここからは完全に僕の持論なのですが、今となって「自己表現としての音楽」の有様自体、質が変わっていると思われます。今となって「自己表現者」は自分のアーティスチックな分野以外でアドバンテージを作ろうと必死です。男女問わず、顔面偏差値、肉体露出度、握手券付きなどを駆使して必死に売名をして居ますね。これは悪いことではありませんが、そのようなアドバンテージを使った時点で「自己表現としての音楽」を否定し、自分を単なる商品として売っている訳です。音楽とは魂の権化です。何故セックスや、異性、欲望に関する歌が世の中に多いのか、それは自分の魂の奥底で、凡ゆる感情論、性的欲望、異性に対しての執着、が「自己表現の音楽」と根を共にしてるからです。つまり「耳にする音楽」とは単に自分のエゴを可聴化したものに過ぎない。ラッパーがお金やドラッグに付いて歌うのもエゴである。人はセックスや欲望、感情論無しに生きていけない、これは何故かとまでは考えるのは面倒臭いので、「神様が人間に日々生きれるように揃えたもの」として考えた方が楽です。其れらは魂の一部だからです。また人は魂無しには生きられない、つまり、現代の音楽観で話を進めると、自分の魂の一部を単なる「商品」としてる訳です。なんなら、それを「音楽」と呼ばない方がマシだと思います。
音楽とは、常に時代の記録係であり、世相の投影です。残念ながら、今の時代は、「自己表現としての音楽」が、現代社会から切り離されてしまいました。つまり投影の作用がなくなったということです。人は誰でもエゴを持って居て、体のどこかにそそり立っています。それを社会にぶつけて波を作るのです。ガンズアンドローゼズが流行った時代にはニルヴァーナの存在があったし、ピンクフロイドが流行った時代を一気にぶち壊したセックスピストルズ、ビートルズなどの坊ちゃんロックが流行った時代に悪ノリロックを主流にしたローリングストーンズ、更に言ったら、黒人ロックンロールを絶滅させたレッドツェッペリン、聞くに耐えないポップスだらけのチャートを一晩でヒップホップに塗り替えたエミネム、ベトナム戦争を国が辞める原因となったボブディラン、黒人のテレビに出る権利を獲得したマイケルジャクソン、影響力のある人間のエゴ(自己表現)は、常に人間社会に波を作ってきました。残念ながら、今の「自己表現としての音楽」はどこかへ行ってしまい、「音楽」という名前だけを残して、中身は違うものにすり替えられてしまいました。
今の楽曲で唯一、「自己表現としての音楽」の面影を感じるのは、トラップという、ドラッグを使用した若者が作りだすヒップホップです。最初は単にコカインを服用した後の自分の感買うを表現した音楽でしたが、今は様々に枝分かれし、多様化が進み、往年のロックを彷彿させます。人生への絶望を歌ったものや、社会への怒り、内心の平和、など様々な様式のヒップホップ表現は、本当に面白いものです。特に、xxxtentacionという19歳のラッパーは、若者の代弁者として、昔のロックスターの匂いがして気に入って居ます。
Xxxtentacion (19)
自分としては、まだ人間のエゴを自己表現できる芸術が、どこかに潜んでで居て、それが息を吹き返したら、それは社会の蠢きを示唆しているのでは無いかと思い、今のところはトラップに託して居ますが、それを覆すジャンルの存在も期待しています。
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